日本国内の患者数がわずか10人程度とされる希少難病「ヒアリン線維腫症候群」を抱えながら、完全リモート体制でウェブ制作会社を経営する奈須香織さん。可動範囲がわずか20センチという過酷な身体状況のなかで、制度の壁を乗り越えて事業を継続するまでの道のりと、直面してきた生活の実態が明らかになった。
生後半年から見られた異変と5歳で下された診断名
奈須さんは生後半年を過ぎても寝返りが打てず、手足が硬直するなどの症状が見られたため地元の病院を受診した。Hint-Potの報道によると、県内の大学病院を経て他県の大学病院を何軒も受診し、5歳の頃にようやく「ヒアリン線維腫症候群」という病名が判明したという。この病気は体内に線維性物質が沈着して全身に結節ができたり、関節が固まって曲げ伸ばしが難しくなる関節拘縮などを引き起こす遺伝性の疾患である。常染色体潜性遺伝の形式をとり、両親がそれぞれ変異のある遺伝子を1つずつ持つ保因者の場合、子どもが発症する確率は25%とされている。保因者自身には通常、症状は現れない。
小学校の受け入れ拒否から普通学校への通学へ
知能やコミュニケーションに問題はなかったものの、地元の公立小学校からはサポートが難しいとして受け入れを拒否された。奈須さんは養護学校へ進学したものの、身体的なケアに時間が割かれることが多く、望ような学習機会は限られていた。もっと勉強したいという強い思いから地域の学校への進学を希望し、養護学校の教師らの背中押しや両親の働きかけによって、中学校からは普通学校に通うことができたとHint-Potは伝えている。4歳頃からは歩くことが難しくなり、2週間に1度、痛みに耐えながら硬直した手足を伸ばすリハビリや歩行器を使った訓練を受けていた。
可動範囲20センチの生活とカップラーメンの昼食
学校生活や就職活動でさまざまな困難を経験しながら独学でウェブデザインを学び、ウェブ制作会社の経営者となった奈須さん。体調に合わせて働ける完全リモートの環境を手に入れたが、その裏では過当な生活を送っていた。当時は朝1時間だけヘルパーが自宅を訪問する「居宅介護」を利用し、両親は日中仕事で不在だった。動ける範囲がわずか20センチほどだったため自力でトイレや食事の用意ができず、ヘルパーが朝に用意してくれた水筒のお湯を注いだカップラーメンを昼食にする生活が4年も続いた。水分摂取量を1日200ミリリットルに制限し、起床後と就寝前の2回でトイレを済ませる過酷な日々で、自力で体勢が変えられないことからおしりには褥瘡ができていたという。
制度の狭間を越えて進める会社経営の現在
水分を制限し痛みに耐えながら働く状態が当たり前になっていた奈須さんだが、周囲からの指摘や障害福祉に詳しい関係者との出会いをきっかけに、自身の生活がいかに過酷だったかを認識した。現在は「重度訪問介護」と「重度障害者等就労支援特別事業」という2つの制度を利用できるようになったことで、就労中や通勤時の介助支援を受けながら事業を続ける環境を整えている。幼少期からの困難を乗り越えて会社経営を続ける奈須さんは、自身の経験や現在の支援体制をもとに、さらなる事業の展開と未来を見据えている。