イスラエルのベンジャミン・ネタニヤフ首相は9月24日、ニューヨークの国連総会で一般討論演説を行い、イランの核施設に大打撃を与えたと誇り、自らの安全保障政策を正当化した。ガザでの戦闘をめぐり国際刑事裁判所から逮捕状が出される中、10月27日の総選挙を前に長期政権の行方が注目されている。.
国連演説でイラン核開発への打撃を誇示
9月24日、ニューヨークで開かれた国連総会の一般討論演説の冒頭で、イスラエルのベンジャミン・ネタニヤフ首相は登壇した。「14年前、私はこの壇上でレッドラインを引いた。イランに核開発させないと誓った。それをまさに我々は実行した」と述べ、2012年に同じ演壇で警告した通り、イランの核開発に大打撃を与えたと主張した。
さらにネタニヤフ首相は、「イランの核施設を破壊するのは難しかった。しかし、それは首相として最も簡単な決断の一つだった。やらなければ、我々は全員死んでいたからだ」と語った。危機を見抜き、最後には自らの手で取り除くという、自身が長年描いてきた安全保障に強い指導者像を演説で強調した。
国際社会の批判と逮捕状の中での続行
自信に満ちた表情で議場を見わたし、時には両手を広げ、流暢な米国アクセントの英語を操るネタニヤフ首相に対し、演説開始前には数十カ国の外交官らが抗議の意思を示して退席していた。パレスチナ自治区ガザでの戦闘をめぐり、国際刑事裁判所(ICC)は2024年11月に戦争犯罪などの容疑で同氏に逮捕状を出している。
それでもネタニヤフ首相は一切意に介さず演説を続けた。国際社会からの非難や法的追及を浴びながらも、イスラエル政治の中心に座り続けるその姿勢は、国内外で大きな波紋を呼び続けている。
繰り返される兄の言葉と政治的原点
演説の中で、ネタニヤフ首相は亡くなった兄の言葉を繰り返し用いた。「我々は勝つ。それ以外の選択肢はない」これは50年前に亡くなった兄、ヨナタンの言葉である。
1976年、イスラエルの商都テルアビブ発のエールフランスの旅客機がハイジャックされ、ウガンダのエンテベ空港に着陸した。イスラエル軍の精鋭部隊を率いたヨナタンは、乗客の救出作戦に参加して戦死し、イスラエルの英雄となった。「英雄の弟」という背景が、ネタニヤフ氏の政治活動の原点となっている。
10月27日の総選挙と長期政権の行方
「ミスター安全保障」「魔術師」と呼ばれながら長期政権を率いてきたネタニヤフ首相は、ガザ、レバノン、イランと戦線を広げてきた。歴史学者の父から右派思想を継いだ同氏を巡り、イスラエルの総選挙が10月27日に迫っている。今回の選挙の最大の焦点は、批判を浴びながらも権力を維持してきたネタニヤフ首相の続投の是非であり、その結果次第で中東情勢の枠組みが大きく揺れ動く可能性がある。