1915年12月に北海道苫前村で発生した「三毛別ヒグマ事件」は、死者7名と重傷者3名を出した日本史上最悪の獣害事件である。獣医師・ハンターの石名坂豪氏は、当時の加害個体が家屋に侵入して人命を奪った背景には、事前の食害放置と人肉の味への執着があったと指摘し、現代のヒグマにも通じる危険な連鎖への警鐘を鳴らしている(news.livedoor.com)。
トウキビの食害放置が招いた最初の惨劇
事件の発端は1915年11月、北海道天塩国苫前郡苫前村三毛別の開拓農家(池田富蔵家)の軒下にあったトウキビが、複数回にわたってヒグマに食害されたことだった(news.livedoor.com)。くり返し被害を受けた農家が11月30日に猟師へ依頼して待ち伏せを行い、巨大なヒグマが再び現れたものの、発砲が失敗に終わり逃走を許した(PRESIDENT Online)。人間生活圏の屋外で栄養価の高い食物に味を占めた個体が、執着心を強めて建物への侵入へと行動をエスカレートさせる現象は、現代のヒグマでも確認されていると石名坂氏は解説する(news.livedoor.com)。
通夜への乱入と相次ぐ被害の拡大
12月9日の午前、太田三郎家に侵入したヒグマは屋内で少年を殺害し、内縁の妻マユを一部食害した上で連れ去った(news.livedoor.com)。翌10日には捜索隊が遺体の一部を発見して太田家へ持ち帰り、同日夜には計9人が参列して通夜が執り行われた(PRESIDENT Online)。その最中にヒグマが屋内へと乱入し、混乱の末に逃走したものの、直下流側にあり避難者も含めて10人が滞在していた明景家がさらに襲撃され、5人が死亡、3人が重傷を負う惨事となった(news.livedoor.com)。

わずか5日間で開拓部落の全10軒が被害に
12月9日から13日までのわずか5日間で、六線沢の右岸に建つ開拓部落の10軒すべてがヒグマによる侵入被害を受けた(news.livedoor.com)。熊狩り本部に集結した討伐隊や住民が待ち伏せや威嚇射撃を行ったが、不発の銃も多く、ヒグマを確実に仕留めることはできなかった(PRESIDENT Online)。最終的には、先行して接近に成功した鬼鹿村の猟師・山本兵吉が胸部と頭部に2発を発砲し、体重340キログラムのオスをようやく射殺した(news.livedoor.com)。
笹川大臣の地名言い間違えが浮き彫りにした課題
FNNプライムオンラインの報道によると、10月17日に北海道の鈴木直道知事と面会した笹川博義・クマ被害対策担当大臣は、冒頭の挨拶で「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」を「みけべつ」と言い間違えた(FNNプライムオンライン)。大臣は対策PTの座長を務めた経験に触れ、『羆嵐』や関連する小説を読んだと語ったが、歴史的事件の正確な読み間違いは、増え続けるクマ被害への対策を統括する立場における正確な知識の浸透度を改めて問う形となった(FNNプライムオンライン)。

現代のヒグマ対策が学ぶべき4つの教訓
石名坂氏は、苫前三毛別事件の加害個体が見せた行動には現代のヒグマとの共通点が多く、①ヒグマが人為的食物に屋外で餌付くこと、②建物内に侵入して食物を漁るようになること、③人間を攻撃して人肉の味を覚えること、④危険個体をすぐに捕殺できないことという4つの条件がそろえば、同様の連続死傷事件が再び発生する可能性を否定しない(news.livedoor.com)。ハンターとしての自戒も含め、まずは食料や生ゴミの管理を徹底し、最初の段階のヒグマを生み出さないことが命を守る唯一の手段となる(news.livedoor.com)。