1996年7月に金浦市の無人島「湯島」で発見…韓国産牛は7頭の子牛を産み、2006年に自然死した
「平和の牛」の骨壷「愛妓峰」の安置に先立ち、金浦同津鶴劇保存会は先月27日、追悼式を行っている。聯合ニュース
1996年の洪水で北朝鮮から流された「平和の牛」が、死後約20年を経て、故郷である北朝鮮を見下ろす金浦市の愛妓峰に埋葬された。
京畿道金浦文化財団は先月29日、平和の牛の骨壷を通津留文化会館から愛妓峰平和生態公園展示場に移し、展示場をオープンしたと3日明らかにした。
展示室の窓の外には、1996年に平和の牛が初めて発見された金浦市の無人島ユ島や、愛妓峰から1.4キロ離れた北朝鮮の開豊郡の風景が見える。
平和牛は、1996年7月の大洪水の際に北朝鮮から漂流し、金浦市の無人島・湯島で発見された。
当時は南北中立地域だったため救出は不可能だったが、国防部と国連軍休戦委員会の許可を得て、海兵隊青龍部隊が1997年1月に「フクロウ作戦」を遂行中、陸路で牛の救出に成功した。
当時、牛は地雷を踏んで左足首を骨折したが、治療を受けて改善し、翌年には済州島の牛が「韓国の花嫁」として嫁いだ。
柔道牛には「平和の牛」、済州牛には「統一願いの牛」という名前が付けられた。
妻との間に7頭の子牛を出産したピースカウは、2006年に16歳で自然死した。
ピース牛は亡くなってしまいましたが、その血統は8世代に渡り仁川と済州の農場で飼育されています。
最近、伝統的な農耕文化を継承するため、同津津レノリ保存会は4月、平和牛の子孫である1歳の未経産牛を引き取り、金浦市河城面の農場に飼育を依頼した。
骨壷の移設に先立ち、京畿道無形文化財通津ドゥレノリ保存会は先月27日、愛妓峰付近で朝鮮半島の平和を願い牛の霊を追悼するノジェ式典を行った。
東津ドゥレノリ保存会会長で元金浦市長のカン・ギョング氏は、「平和と分断の痛みの象徴とされてきた平和牛が、統一を迎えられなかったとしても、愛妓峰の空に沈まない大きな星となり、偉大な平和伝道者となることを願う」と述べた。
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#愛妓峰には1996年の洪水で北朝鮮から流された平和の牛が祀られている