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9.11ハイジャック機から通報したベティ・オンの遺族が、電話を受けたヴァネッサ・ミンターと25年ぶりに初対面

2001年9月11日、ハイジャックされた機内から歴史的な最初の通報を行った客室乗務員ベティ・オンの遺族が、当時地上でその電話を受けたアメリカン航空の予約担当者ヴァネッサ・ミンターと25年ぶりに初対面を果たしたことが分かった。…

9.11ハイジャック機から通報したベティ・オンの遺族が、電話を受けたヴァネッサ・ミンターと25年ぶりに初対面

2001年9月11日、ハイジャックされた機内から歴史的な最初の通報を行った客室乗務員ベティ・オンの遺族が、当時地上でその電話を受けたアメリカン航空の予約担当者ヴァネッサ・ミンターと25年ぶりに初対面を果たしたことが分かった。

25年の時を経た対面と語り継がれる9月11日の記録

ノースカロライナ州キャリーに住むアメリカン航空の予約担当者ヴァネッサ・ミンターは、2001年9月11日、ボストンを出発しロサンゼルスへ向かっていたアメリカン航空11便の客室乗務員ベティ・オンから電話を受けた。オンは機内の後方ギャレーにいた。

オンは自分たちがハイジャックされていると思うと述べた。客室乗務員のBetty Ong、CBS News経由

オンは予約センターに対し、「私の名前はベティ・オン、11便の3番です。コックピットが応答しません。ビジネスクラスで誰かが刺され、催涙ガス(mace)があるようで、息ができません。分かりませんが、ハイジャックされていると思います」と伝えた。オンはこの電話を23分間維持し、機内で起きている状況に関する情報を伝え続けた。この通報は、航空管制官が米国上空を飛行していたすべての航空機を着陸させる判断につながった。

オンは午前8時46分に機体が世界貿易センターの北タワーに激突するまで電話を続けており、ミンターが彼女が最後に話した相手となった。ミンターは、オンが最後に「私たちのために祈ってください(Pray for us)」と言ったことを回想している。ミンターは、オンの声のトーンから脅威が本物であると悟ったとし、「彼女は文字通り柱のような存在でした。自分が何をすべきか分かっており、私たちが必要な情報が何であるかを知っていたし、非常にビジネスライクでした」と述べた。

攻撃から3週間後、ミンターはカリフォルニア州に住むオンの家族に手紙を書き、オンの勇敢さと乗客の安全への配慮について綴った。この手紙をオンの兄であるハリー・オン(現在77歳、5人の孫を持つ)が受け取ったことで、家族は初めて機内からの電話について知ることとなった。ハリー氏は「それを聞いたとき、私たちはベティをとても誇りに思いました」と語っている。

遺族との絆と受け継がれる記憶

ミンターは25年間、オンの家族に会うために西海岸へ行くことはなかったが、最近になってハリー氏とオンの記念碑で再会した。その後、ミンターはハリー氏の自宅に招かれ、オンのIDタグやブッシュ大統領からの手紙などの遺品を見せてもらった。また、99歳になるオンの母親ガム氏にも会った。

ミンターは、非常に勇敢な娘さんであり、自分もすでにこの家族の一員であるように感じると語った。アメリカン航空予約担当者のVanessa Minter、CBS News経由

9/11 – A Last Phone Call From A Hijacked Plane

ハリー氏は、ベティがこの便に乗る予定はなかったと明かしている。彼女は妹のキャシーとグロリアとの旅行資金を稼ぐため、追加のシフトに入っていた。ハリー氏は、当時の状況について「(東部時間の)7時頃に気づき、アメリカン航空に5、6回電話をかけ続け、ようやくベティがその便に乗っていた可能性があることを認められました」と回想している。

2002年には、グラウンド・ゼロから2ブロック離れた場所で、オンのDNAを含む骨片が回収された。オンはカリフォルニア州コルマのサイプレス・ローン記念公園に安置されており、ハリー氏は毎月そこを訪れている。ハリー氏は「ベティはヒーローでしたが、彼女だけがヒーローだったわけではありません。あの日亡くなった約3,000人の方々全員がヒーローであり、彼らを忘れてはいけません」と述べた。

サンフランシスコのチャイナタウンに残る足跡

ベティ・アン・オンの記憶とレガシーは、彼女が育ったサンフランシスコのチャイナタウンに深く根付いている。かつて家族が経営していたジャクソン通りの商店で働き、両親が1987年に引退した後に世界を見るために客室乗務員となったオンの足跡は、現在も地域社会に息づいている。

9.11ハイジャック機から通報したベティ・オンの遺族が、電話を受けたヴァネッサ・ミンターと25年ぶりに初対面
Photo: Cbsnews

彼女の記憶は、「ベティ・アン・オン財団」および、彼女がかつて遊び場としていた地域にある「ベティ・アン・オン中国レクリエーションセンター」を通じて受け継がれている。このセンターは再建され、名称が変更され、現在は地域社会の高齢者や子供向けに年間を通じてプログラムを提供している。また、ベティを称えて毎年3回の大規模なホリデーパーティーが開催されている。センターの壁やポスター、入り口のブロンズ製のプレートには彼女の名前が刻まれている。

執筆者について: nipponese

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