伝説的なラッパーである2パック・シャクール(本名:トゥパック・シャクール)が、1996年にラスベガスで殺害された事件。30年もの時を経て、事件の首謀者として特定されたデュアン・“ケフェ・D”・デイビス被告に対し、懲役40年から終身刑の判決が言い渡された。事件の真相を追い続けた長年の捜査は、被告自身の「告白」によってようやく一つの結末を迎えた。
30年越しの司法判断と判決の言い渡し
2026年10月13日、ラスベガスのクラーク郡地方裁判所において、カーリ・リン・キアニー判事はデイビス被告(63歳)に対し、40年から終身の懲役刑を言い渡した。この判決は、2026年8月に陪審員が下した第一級殺人罪(凶器使用)の有罪評決に基づくものである。判決言い渡しの際、キアニー判事は、デイビス被告が自身の関与を公に語りながらも、現在は更生し孫を持つ身であると主張して減刑を求めたことに対し、厳しく反論した。
「あなたは、ある男性をその家族から引き離し、その命、そして未来のすべてを奪っておきながら、ただ立ち去ることはできないのです。特に、その相手が2パック・シャクールであるならばなおさらです」 カーリ・リン・キアニー判事
クラーク郡地方検事のスティーブ・ウルフソン氏は、判決後に「2パック・シャクールと彼の愛する人々のために、正義が果たされた」と述べ、30年近い歳月を経て家族に一定の平和と安らぎをもたらすことを願うと語った。また、主席副地方検事のマーク・ディジャコモ氏は、被告が事件を金儲けの手段として利用し、世間を騒がせてきたことを指摘し、最高刑に相当する厳罰が必要であると主張していた。
事件の背景と自白の連鎖
検察側の主張によれば、事件は、その数時間前にMGMグランドで行われたマイク・タイソン対ブルース・セルドンのボクシング試合会場で、2パック側がデイビス被告の甥であるオーランド・アンダーソンを暴行したことに対する報復であった。デイビス被告は、サウスサイド・コンプトン・クリップスというギャングのリーダーとして、この銃撃を指揮し、後部座席の実行犯に.40口径の拳銃を手渡したとされる。
事件は長年未解決であったが、デイビス被告自身がメディアのインタビューや2019年に出版した回顧録『Compton Street Legend』の中で、事件への関与を詳細に語ったことが、捜査の転換点となった。彼は警察との以前の取り引きにより訴追を免れていたが、公の場で事件について繰り返した発言が、捜査当局による再捜査を可能にし、2023年の逮捕へと繋がった。
遺族の悲しみと残された問い
裁判では、2パックの妹であるセキワ・シャクールが、兄の死がいかに家族を破壊したかを証言した。彼女は兄を「私の輝く星、輝く王子」と呼び、彼の死によってうつ病やPTSD、自殺念慮に苦しんできたことを吐露した。彼女は、他人の人生を奪った者は、その罪を噛みしめるべきであると強く訴えた。

一方で、デイビス被告の弁護団は、被告の回顧録の内容は本を売るためのフィクションであり、警察での供述も司法取引を得るための嘘であると主張し、一貫して無罪を訴えていた。しかし陪審員は、3時間足らずの評議で有罪判決を下した。

判決後、デイビス被告は控訴する意向を明らかにしている。事件において実際に引き金を引いた実行犯については、デイビス被告と共にキャデラックに乗っていた他の3人の男性は全員すでに死亡している。オーランド・アンダーソンは1998年の事件で死亡し、他の関係者もその後の数年間で命を落とした。そのため、誰が致命的な弾丸を放ったのかという問いは、法的に解決されないまま残されることとなった。
2パック・シャクールは、世界中で7500万枚以上のレコードを売り上げ、「California Love」や「Changes」といった名曲を遺したヒップホップ界のアイコンである。彼の死から30年、ようやく一つの冷酷な事件に判決という名の区切りが打たれた。