イギリス海軍の潜水艦隊「サイレント・サービス」が2026年10月2日に125周年を迎えた中、戦闘で戦果を挙げた艦が海賊旗「ジョリーロジャー」を掲げて帰還する伝統の背景には、当初の上層部による反発と、そこから生まれた乗組員の動きがあったと報じられている。.
125周年を迎えたサイレント・サービスと海賊旗の伝統
イギリス海軍の潜水艦隊である「Submarine Service(サイレント・サービス)」は、2026年10月2日に125周年を迎えた。同潜水艦隊には、戦闘に参加した潜水艦がガイコツなどをモチーフとした海賊旗「ジョリーロジャー」を掲げて母港に凱旋するという独自の伝統がある。この習慣は、創設期のイギリス海軍上層部が抱いていた潜水艦に対する強い嫌悪感と、それに抵抗した乗組員の反骨精神から始まったと各ソースは伝えている。
卑怯な兵器と呼ばれた創設期と上層部の反発
1901年10月2日にイギリス初の潜水艦「ホランド1号」が進水し、同国の本格的な潜水艦運用がスタートした。しかし当時は魚雷発射機能がなく、目標の下に潜って曳航式機雷をぶつけるか侵入経路に機雷を敷設することが主任務であり、水上艦艇に見つかればひとたまりもない戦法だった。こうした隠密攻撃について、後に第一次世界大戦中の第一海軍卿となるアーサー・ウィルソン中将は「卑怯で不公正で、全くもってイギリス人らしくない」と評し、乗組員を海賊として絞首刑に処すべきだとまで主張したとされている。海軍内では潜水艦に対する強い嫌悪感が広がっていた。
第一次世界大戦での戦果とジョリーロジャーの誕生
その認識を覆したのが第一次世界大戦である。1915年10月、潜水艦E8とE9の雷撃によってドイツ海軍の装甲巡洋艦「プリンツ・アーダルベルト」が撃沈され、バルト海に展開するドイツ海軍に大きな打撃を与えた。E9の艦長だったマックス・ホートン中佐は、上司から「海賊」と呼ばれていたことを逆手に取り、抗議の意を示そうとあえて海賊旗を掲げて港へ帰還した。carviewやInfoseekニュースによると、この行動が他の潜水艦にも波及し、戦果を誇示する習慣として定着していった。海軍はこの習慣を公式には認めなかったものの、強引にやめさせることもせず黙認し続けた。
第二次世界大戦から現代へと受け継がれる航跡
海軍の黙認のもとで続いたこの習慣は、第二次世界大戦中も継続され、オーストラリア海軍の潜水艦も時折海賊旗を掲げたとされている。戦後も、1982年のフォークランド紛争においてチャーチル級原子力潜水艦「コンカラー」がアルゼンチン海軍の軽巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を撃沈した後に海賊旗を掲げて帰港した。さらに2000年代に入ってからは、2003年のイラク戦争時にトラファルガー級原子力潜水艦「タービュレント」が巡航ミサイル攻撃を実施したのちに入港する際、同じく海賊旗を掲げたと伝えられている。
今後の運用と伝統のゆくえ
イギリス海軍の潜水艦が攻撃に参加するような大規模な戦闘は、2000年代以降発生していない。しかし、上層部への反発から偶発的に生まれ、一世紀以上にわたって受け継がれてきたジョリーロジャーを掲げる伝統は、現在もサイレント・サービスの歴史のなかに息づいていると考えられている。