第二次世界大戦中、日本海軍の伊八潜は7月24日にドイツ側から初の無線連絡を受け、当初予定されていたロリアン軍港からブレスト軍港へと目的地を変更した。現地ではドイツ製最新式電波探知機の設置が行われ、8月27日にはポルトガルの突端の灯台の光芒が見えてヨーロッパ大陸に到達したと、桑島が回想している。.
敵機の襲来と無線封止の解除
伊八潜水艦は長期間にわたり厳重な無線封止を続けていたが、ドイツ側からの指示に従って無線を発信したところ、直ちに敵機の襲来を受けた。7月24日に初めてドイツ側からの無線連絡が入り、同29日の駐独武官からの電報によって目的地が変更された。安全上の見地から、前回伊三十潜が入港したロリアン軍港ではなく、ビスケー湾を望むブルターニュ半島尖端のブレスト軍港が新たな目的地となった。同時に、赤道を通過する際に会合予定日を報告するよう求められており、電波を発信することの危険性が実証される形となった。
天測航法によるドイツ潜水艦との会合
ペナン出港以来2カ月近く陸地を見ない航海を経た伊八潜は、8月20日にアゾレス諸島西方海面でドイツ潜水艦との会合を果たした。長期間の航行にもかかわらず、天測航法のみによって地球上のピンポイントの位置へ正確にたどり着いた。ドイツ側の連絡将校であるヤーン少尉が指揮を執り、派遣された工作兵の手際よい作業によって、最新式の電波探知機が司令塔へと取り付けられた。この会合地点の設定においても、事前の綿密な無線連絡が重要な役割を果たしていた。
日本製とドイツ製電波探知機の性能差
艦上に設置されたドイツ製の電波探知機は、日本製のそれと比較して圧倒的な性能差を示した。日本で搭載してきた電波探知機は、大きな扇風機状のアンテナを手動で回す方式であり、取り扱いが不便で実用性も乏しかった。これに対し、ドイツ製の装置は鉛筆ほどの太さの真鍮製棒2本で構成されたシンプルな構造で、サイズは日本製の数十分の一にすぎなかった。コンパクトで手間がかからないだけでなく、受信波の線像も非常に鮮明であったため、日本海軍の立場を考慮した乗組員たちは、呉海軍工廠製の旧式探知機を分解して艦内の奥底へと隠した。
ヨーロッパ大陸の接近と灯台の光芒
8月27日、伊八潜の乗組員らはポルトガルの突端にある灯台の光芒を確認した。目前にヨーロッパ大陸が迫っていることを自らの目で捉えた当時の感激について、桑島はのちに回想している。敵のレーダー探知を避けるため、一般漁船に偽装した方が安全であるという判断のもと、あえて陸岸近くの航路が選ばれた。しかし、航行にあたっては現地のトロール船が使用する漁網に艦が引っかからないかという新たな心配もつきまとっていた。
長距離の隠密航海と過酷な洋上会合を乗り越えた伊八潜水艦の動静は、当時の水中作戦における技術的側面と航海技術の限界を物語る貴重な記録となっている。今後も関連する歴史的資料の検証や、当時の乗組員による証言の解析が進められることで、戦時の隠密行動の詳細がさらに明らかにされていく。