2026年8月14日、ケンブリッジ大学の元教授であるジェイソン・アーデイ氏がロンドンの自宅で遺体で発見されました。38歳で同大学の歴史上最年少の黒人教授に就任した同氏は、論文の盗作疑惑や経歴に関する疑義に数週間直面し、死亡の9日前に辞任を表明していました。
ジェイソン・アーデイ氏の急逝とロンドン警察の調査
2026年8月14日の午後3時以降、ロンドンのロンドン救急サービスからの通報を受けたメトロポリタン警察が、南ロンドンにあるジェイソン・アーデイ氏の自宅に駆けつけました。41歳の男性が現場で死亡しているのが確認されました。警察は身元を確認し、遺族に連絡が取られたことを明らかにしています。
警察当局によると、死亡状況は予期せぬものであったものの、現時点では事件性はないと見られています。中南部コマンドユニットの警察官が捜査を進めており、検察官向けの検死報告書が作成される予定です。ロンドン救急サービスが最初に現場に到着し、室内で発見された人物は反応のない状態でした。
辞任に至る経緯と相次いだ盗作疑惑
アーデイ氏は2023年に教育社会学の教授としてケンブリッジ大学に着任し、同大学の800年の歴史の中で最年少の黒人教授として注目を集めました。しかし、自身の回顧録における不自然な記述や経歴の矛盾が明るみに出たことで、激しい批判に晒されていました。
さらに、博士論文をはじめとする学術業績においても盗作の疑いが浮上しました。アーデイ氏はこれらの告発を強く否定し、自らの自閉症が原因であると主張するとともに、告発者たちは人種差別に動機づけられていると訴えていました。出版予定だったサイモン&シュースター社からは当初「プロ意識と誠実さ」を称えられて擁護されていましたが、疑惑の拡大とともに大学側の姿勢も変化していきました。
ケンブリッジ大学は、学術的資格や名誉職に関する「新たな情報」を受け取ったほか、学術的不正に関する一連の苦情が寄せられたとして、8月5日に内部調査を実施すると発表していました。これを受け、アーデイ氏は死亡の9日前にケンブリッジ大学およびジーザス・カレッジからの即時辞任を表明しました。
ケンブリッジ大学のジェイソン・アーデイは、深い悲しみとともに、ケンブリッジ大学およびジーザス・カレッジからの即時辞任を書き記す旨を表明した。
辞任声明の中でアーデイ氏は、容赦ない非難、憶測、そして世間の論評が、私自身と愛する人々フに計り知れない負担を強じたと心情を吐露していました。
遺族や関係機関による反応とアーデイ氏の歩み
アーデイ氏の遺族は声明を発表し、同氏がケンブリッジ大学の教授に就任して以来、3年以上にわたって執拗な嫌がらせや中傷のキャンペーンにさらされていたと訴えました。

ジェイソン・アーデイの家族によれば、ジェイソンはケンブリッジ大学の教授職を引き受けて以来、自分を失脚させようとあらゆる手段を尽くす人々から、3年以上にわたり執拗な中傷のキャンペーンにさらされていたという。
ロンドンのサディク・カーン市長もこの悲劇について声明を出し、アーデイ氏が不当なバッシングや公的な恥辱の標的にされたと述べ、社会全体への警鐘であると語りました。「ジェイソン・アーデイは、他の同じ立場の人々であれば直面しなかったような有害な公開処刑の犠牲者だった」とカーン市長は指摘しています。
アーデイ氏は幼少期に11歳まで言葉を話せず、18歳まで文字の読み書きができない困難を乗り越えてアカデミアの頂点に立った経歴を持ち、2012年のロンドンオリンピックでは聖火ランナーも務めました。2015年にリバプール・ジョン・ムーア大学で教育学の博士号を取得した後、グラスゴー大学やダラム大学などを経てケンブリッジ大学の教授に就任していました。
学界における盗作非難の政治化と現代のメディア環境
アーデイ氏を巡る一連の騒動は、現代のメディア環境や学術界において、盗作告発が政治的あるいはイデオロギー的な武器として利用される傾向を浮き彫りにしています。政治的左右の対立陣営が、相手の信認や代表する機関を傷つけるために告発を常態化させている構造があります。
