1978年米国現職大統領初にサハラ以南アフリカ訪問
カーターセンター1986年からモルモット撲滅運動成果画像を大きく見るカーター元アメリカ大統領
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(ソウル=ヨンハップニュース) ノ・ジェヒョン記者=29日(現地時間) 他界したジミー・カーター元米国大統領はアフリカに格別な愛情を注いだ指導者としても有名だ。
大統領在任時に直接アフリカを訪れ、退任後も紛争、病気などアフリカの高質な問題解決にボールを挙げた。
彼は大統領就任後翌年の1978年3月末、アフリカ西部ナイジェリアを国賓訪問し、オルセ郡オバサンジョ大統領と首脳会談を行った。
米国現職大統領がアフリカのサハラ砂漠以南国家を訪問した最初の事例だ。
当時、彼は首脳会談で米国とナイジェリアの経済・外交協力強化だけでなく、南アフリカ共和国、ロディジア(現ジンバブエ)、ナミビアなどアフリカ南部諸国の脱植民化を議論し、アフリカの解放運動と人権について支持を表明した。
ナイジェリア訪問を終えた後は、その年4月初めにリベリアを訪れた。
リベリアは19世紀にアメリカで解放された奴隷が建てた国家だ。
特にカーター元大統領は在任時代、アフリカ南部への関心が多かったと伝えられた。
彼は2002年の歴史学者ナンシー・ミッチェルとのインタビューで「(再臨時)中東よりロディジアと関連して努力して心配するのに時間を多く過ごした」と回顧した。
1970年代の冷戦時期アフリカ南部は米国の立場で社会主義勢力の拡大が大きく懸念される地域だった。
例えばソ連の支援を受けたキューバは、1976年にアンゴラの左派アンゴライン民解放運動(MLPA)を支援しようとアフリカに大規模兵力を派遣した。
こうした状況で、カーター元大統領はアフリカ諸国との貿易、外交的接触を拡大するなど、関係改善を推進した。
カーター政権は南アフリカ諸国で少数白人の支配に反対し、ロディジアがイギリスから独立し、1980年に黒人政権の「ジンバブエ共和国」に変わるのに寄与した。
また、南アフリカ共和国の人種差別政策であるアパルトヘイトを批判した。
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カーター元大統領は退任後もアフリカのために活発に活動した。
1995年3月にはアフリカスーダン政府と反軍の和解を仲裁しようとスーダンを訪問した。その年11月内戦の傷が大きいルワンダを求めて虐殺及び難民問題に対する国際社会の関心を促した。
アフリカの病気との闘いに傾いた精神も注目される。
彼は1982年に建てたカーターセンターは、民主主義の発展と人権・保健問題改善のために活動した。カーターセンターは特に1986年からアフリカのモルモット撲滅運動を繰り広げた。
モルモットの幼虫は故人の水の中にあり、人体に入ると極度の痛みを伴う潰瘍を作る。
1980年代後半、世界的にモルモットの発症件数は年平均350万件にもなった。
しかし、カーターセンターの努力のおかげで、2022年に全世界で確定報告が13件に過ぎないほど事実上根絶されるようにした。
この他、カーター元大統領が劣悪な住居環境改善のために世界的に繰り広げた「ハビタットプロジェクト」(愛の執筆)も南アフリカなどアフリカに大きな力となった。
ノジェ@yna.co.kr
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