元衆議院議長の河野洋平氏が死去、89歳
日本の政界において、中国との対話のパイプ役として活動し、1993年の「河野談話」で知られる元衆議院議長の河野洋平氏が、月曜日に死去した。89歳であった。息子の河野太郎氏(元外務大臣)の事務所によると、死因は老衰である。

「河野談話」を通じた歴史との対峙
河野氏の政治的業績として最も広く知られているのは、1993年8月4日に内閣官房長官として発表した「河野談話」である。この談話は、第二次世界大戦中に日本軍が関与し、韓国を含むアジア諸国の女性を「慰安婦」として強制的に性的な奉仕をさせた事実を認め、謝罪と反省の意を表明したものだった。 政府調査を経て発表されたこの談話は、戦時中の歴史的責任を認める重要な一歩として国際的に評価され、後の1995年の村山富市首相による戦後50年の談話へとつながる道筋を作った。しかし、近年では日本の保守層を中心に、こうした歴史的評価に対する批判や見直しの動きも存在した。河野氏は、特に安倍晋三政権下などで自身の談話を揺るがそうとする動きに対し、歴史的事実を隠蔽しようとすることは「日本人の評判を傷つける」と警告し続けていた。
保守政界の穏健派としての経歴
1937年に神奈川県で生まれた河野氏は、著名な政治家一家の出身である。父は農林大臣や建設大臣を歴任した河野一郎氏、叔父は参議院議長を務めた河野謙三氏であった。早稲田大学を卒業後、1967年の衆議院議員総選挙で初当選を果たし、以後14回連続で当選を重ねた。 自由民主党(LDP)に所属しながらも、同党内では穏健派の声として知られ、憲法9条の改正については慎重な立場を維持した。衆議院議長を2003年から5年半以上にわたり務め、2009年に政界を引退した。
日中関係の安定に尽力
政界引退後も、河野氏は外交面で積極的に活動を続けた。2006年から死去するまで、日本国際貿易促進協会の会長を務め、経済団体を率いて中国を頻繁に訪問し、日中間の経済関係や友好関係の安定に尽力した。 河野氏は、亡くなる直前にも中国との関係改善を目指した外交的な役割を担おうとしていた。報道によれば、今月開催される「中国国際サプライチェーン博覧会」に合わせて訪中し、貿易代表団を率いる計画があったという。

河野洋平氏の主な経歴と役割
| 項目 | 内容 | | :— | :— | | 生年月日 | 1937年 | | 初当選 | 1967年 | | 主な要職 | 内閣官房長官、自民党総裁、衆議院議長 | | 晩年の活動 | 日本国際貿易促進協会会長として対中友好・経済交流を推進 | | 政治的スタンス | 憲法9条改正に慎重、近隣諸国との友好関係を重視 | 河野氏の死去を受け、韓国の金民錫首相はX(旧Twitter)を通じて哀悼の意を表した。「歴史を認め、未来へ進むという原則を提示した稀有な日本の政治家だった」と評し、日韓関係の健全な発展を願うメッセージを寄せている。葬儀は近親者のみで執り行われ、後日、お別れの会などが予定されている。
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