カントリー音楽界の伝説的アイコン、ドリー・パートンが8月25日、80歳で死去した。広報担当者によると、ナッシュビルのヴァンダービルト・イングラムがんセンターにて、短い闘病生活の末に息を引き取った。世界中で1億枚以上のレコードを売り上げた功績と、慈善活動家としての温かい人柄が多くのファンに惜しまれている。
音楽界のアイコンとしての軌跡と功績
Dolly Parton dies at 80
ドリー・パートンは、テネシー州の山間部にある丸太小屋という極めて貧しい家庭から身を起こし、カントリー音楽の枠を超えて世界的なスターとなった。1946年1月19日に12人きょうだいの4番目として生まれた彼女は、電気も水道もない環境で育った。その幼少期の体験は後の創作の大きな源となり、母親が布切れを縫い合わせて作ってくれた服を題材にした「Coat of Many Colors」など、家族や信仰、愛を描く数多くの楽曲を生み出した。18歳でナッシュビルに移り、ソングライターとして活動を開始。ポーター・ワゴナーのテレビ番組への出演をきっかけに人気を広げ、1970年代には「Jolene」「I Will Always Love You」などの代表曲を発表した。特に「I Will Always Love You」は、後にホイットニー・ヒューストンが1992年の映画『ボディガード』でカバーし、世界的な大ヒットを記録した。

彼女のソングライティング能力は卓越しており、生涯に数千曲を書いたとされる。AP通信の報道によると、彼女の楽曲は世界で1億枚以上のセールスを記録し、オンラインストリーミング再生回数は10億回を超えている。音楽のみならず、1980年の映画『9 to 5』では主演を務め、自ら手がけた主題歌「9 to 5」は全米ポップ・チャート1位を獲得した。その後も『The Best Little Whorehouse in Texas』や『Steel Magnolias』などに出演し、世界的なエンターテイナーとして存在感を確立した。1999年にはカントリー・ミュージック殿堂、2001年にはソングライターの殿堂入りを果たし、2022年にはロックの殿堂にも選出された。翌2023年には、ポール・マッカートニーやスティーヴン・タイラーらと共演したアルバム『Rockstar』を発表した。
Dolly Parton's cause of death
慈善活動とレガシー

音楽以外でも、1986年に地元テネシー州にテーマパーク「Dollywood」を開園し、地域に雇用を生み出した。また、子どもたちに本を届ける「Imagination Library」を通じて数百万人もの本を寄付し、新型コロナウイルスのワクチン研究への資金援助など、慈善活動にも長年取り組んだ。その姿勢について、広報担当者は「何百万人もの子どもたちへの本の寄付や、世界中で使われる救命ワクチンの研究資金提供など、ドリーの人々への無条件の愛が彼女の永続的な影響力の原動力だった」と述べている。
Dolly Parton, music star, actor and beloved figure who
闘病と最期の言葉
パートンの死因はがんであることが確認されている。広報担当者のマルセル・パリゾーは、「勇敢に短い闘病生活を送った後、ドリーは愛する人々に囲まれて、今日ヴァンダービルト・イングラムがんセンターでこの世を去りました」と声明を発表した。また、彼女の甥であり、長年セキュリティ責任者を務めたブライアン・シーヴァーは、インスタグラムに投稿した動画の中で、「ドリーは光の中で生き、イエスの腕の中に抱かれています。カール(夫)、両親、そして彼女を見守り、天国で会えることを待ちわびていた数え切れないほどの人々に迎えられたはずです」と追悼の意を表した。夫のカール・トーマス・ディーンは2025年に先立っていた。

晩年は健康上の問題から公の場への登場を減らしており、2025年9月には腎臓結石の治療のためドリーウッドのイベントを欠席し、同月にはラスベガスでのレジデンス公演を「健康上の課題」により延期していた。しかし、彼女の代表者たちは、「私たちの最愛のドリー・パートンは、その人生とキャリアを通じて、触れるものすべてに喜び、笑い、希望、そして誠実さをもたらしました」と彼女の生涯を称えている。彼女は生前、自身のレガシーについて「最後には、優れたソングライターとして記憶されたい」と記していた。