東京 – 在日米軍は1970年代初頭に冷戦中のソ連や中国に対する水爆使用を念頭に、同国の最南端の沖縄県で模擬水爆訓練を複数回実施していたことが、機密解除された外交記録で土曜日に明らかになった。
この文書は、山口県の岩国に駐留する米空軍の隊員が少なくとも1971年から1975年の間、沖縄で訓練を行ったことを確認しており、領土内で核兵器を保有、製造、許可しないという日本の非核三原則にもかかわらず、核兵器を使用できる部隊の創設に米国が固執していることを浮き彫りにした。
米国は1945年から1972年まで沖縄を占領し、1972年5月に沖縄が日本に返還された後もいくつかの訓練が実施された。
九州大学の中島卓馬教授(政治外交史)は「復帰後の沖縄で米軍が核攻撃の準備をしていたことが明らかになったのは初めてだ」と述べた。
1945年の第二次世界大戦中に米国による原爆投下を受けた広島県に近い岩国の米軍基地沖に、核兵器を積んだ揚陸艦が駐留していたことがすでに明らかになっている。
1970年から1974年にかけて岩国の指令センターから保管された文書「指令年表」が共同通信と中島によって分析された。
記録によると、米空軍団は1971年7月に単一統合作戦計画に着手し、複数の飛行隊が時折、当時の米軍基地(現在の那覇空港)に赴き、核兵器の配備手順を確認したり、模擬水爆の投下訓練を行ったりしていた。
1971年9月の訓練では「通報から6時間以内に14機の航空機が那覇基地に飛行した」と報告されており、対応力を向上させるという軍の目標を強調している。
1973年3月からは1ヶ月間、1974年3月からは1ヶ月以上にわたり模擬水爆訓練も行われた。
訓練には何も問題がなかったわけではなく、1973年4月には訓練中に配備された航空機が那覇の西約75キロの海上に墜落した。パイロットは脱出して生き残った。
1972年4月の国会討論での質問に答えて、日本政府は核兵器を配備できる米軍部隊の存在を「確認できなかった」と述べた。 1975年3月、当時の三木武夫首相は、そんなものがあったとは「信じていない」と述べた。
#1970年代に核戦争に備えた在日米軍アーカイブ