アジア太平洋戦争期、日本国内の炭鉱や軍需工場などで「産業慰安所」が少なくとも全国39カ所に設置されていたことが、毎日新聞の取材で判明した。朝鮮半島出身の男性労働者を管理する目的で、同胞の女性が接客に従事させられていた実態が、近年の調査で明らかになった。
全国に少なくとも39カ所存在した産業慰安所
アジア太平洋戦争期、日本政府は労務動員計画に基づき、朝鮮半島から多大な労働力を炭鉱や鉱山へ送り込んだ。毎日新聞の報道によると、過酷な労働環境から逃亡する労働者が相次ぐ中、逃亡防止と増産を目的として軍需企業が利用したのが「産業慰安所」である。認定NPO法人・高麗博物館(東京都新宿区)の調査によれば、こうした施設は北海道や福岡県の各炭鉱、長崎県の三菱端島炭鉱(通称・軍艦島)など、全国で少なくとも39カ所にのぼる。同館が2026年まで10年間実施した文献・現地調査と、毎日新聞の専門家への取材を照合することで、その全体像が浮き彫りとなった。
「性解決所」と記された戦時下の論文
1945年に発表された論文には、産業慰安所の役割が極めて露骨に記されている。石炭統制会の九州支部に寄せられたこの論文は、特別慰安所について「わかり易く言へば性解決所である」と定義した。さらに「炭山の付近に特殊飲食店として存在する場合が多い。ここに半島女子がゐれば好都合である」と記述し、千人の労働者に対して10人程度の女性を配置することを推奨している。この論文は、女性の存在を「逃走防止と増産激励」のための手段と見なしており、労働者の管理体制の一部として組み込まれていたことがうかがえる。

女性差別と民族差別が交差する構造
産業慰安所で接客を強要された女性たちの多くは、朝鮮半島出身者だった。高麗博物館朝鮮女性史研究会の大場小夜子代表(73)は、こうした実態について「朝鮮人労働者には朝鮮人女性を『あてがう』という思想が背景にある」と指摘する。大場氏は、そこには女性に対する差別と、民族的な差別の双方が深く関与していると分析している。毎日新聞の調査では、現場で「接客」に従事させられた店員の中には、多くの10代の少女が含まれていたという痛ましい事実も確認された。
過酷な労働現場と管理売買春の現実
東京大大学院の外村大教授(日本近現代史)によると、1939年から1945年にかけて動員された朝鮮人労働者の約75%(39~42年度)が炭鉱や鉱山に送られた。当時、朝鮮料理店などを装ったこれらの施設は、実質的に「私娼」を扱う管理売買春の場と化していた。日本政府が企業に対して労務対策として利用を促した経緯もあり、単なる娯楽施設ではなく、国家の動員計画と密接に結びついた施設であったことが専門家の見解から示されている。
語り継がれるべき戦時下の実態
戦後81年を経て、これまで公にされることが少なかった産業慰安所の実態が、当時の文献や証言の積み重ねによって次第に明らかになっている。逃亡防止という軍需産業の論理の下で、朝鮮半島出身の女性たちがどのような過酷な状況に置かれていたのか。今後もさらなる調査や資料の掘り起こしが進むことで、歴史の闇に埋もれていた当時の事実が、より詳細に検証されることが求められている。