20世紀初頭の日本政府が、現在の東海(日本海)の韓国領海部分を「朝鮮海」と表記していた事実が明らかになった。韓国領土学会の李相泰会長が、1902年に発行された日本の官報を根拠に指摘したもので、当時の日本が同海域を公的に認識していた実態が浮き彫りとなった。
1902年発行の官報に記された「朝鮮海」の呼称
韓国領土学会の李相泰会長(元国史編纂委員会史料調査室長)は、東海研究会と東北アジア歴史財団が主催した国際セミナーにおいて、論文『日本も東海名称を正式に使用した』を発表した。李会長が新たに発掘した資料は、1902年9月1日付の官報第5749号と同12月18日付の第5839号である。chosunonline.comの報道によると、官報5749号は「外国領海水産組合法に基づき、朝鮮海水産組合を設置できる」と明記し、5839号ではその設立が認可された旨が掲載されている。この資料は、当時の日本政府が韓国領海を「日本海」ではなく「朝鮮海」という名称で扱っていたことを示す重要な証拠となる。
遠洋漁業の紛争回避に向けた法整備
日本が「朝鮮海」という呼称を用いた背景には、当時の遠洋漁業の拡大とそれに伴う摩擦の回避があった。李会長の説明によれば、日本は近代以降、自国の遠洋漁業を外国領海にまで広げていた。紛争を防ぐ目的で1902年に「外国領海水産組合法」が制定されたことで、それまで存在した「朝鮮漁業協会(1897年設立)」や「朝鮮海通漁組合連合会(1900年設立)」といった組織が、「朝鮮海水産組合」へと改編された。日本政府は、大韓帝国の領海を「外国の領海」と見なした上で、日本の漁民による漁業活動を合法化するためにこの名称を採用したとみられる。
1902年から1910年までの公的表記
「朝鮮海水産組合」が存在した1902年から1911年の間、日本は東海の韓国領海部分を「朝鮮海」として認めていたことになる。.
- 1902年:外国領海水産組合法の公布に伴い「朝鮮海水産組合」が組織される
- 1910年:大韓帝国の滅亡により、東海の韓国領海部分も「日本海」へと呼称が変化する
1910年の大韓帝国滅亡を境に、それまで「朝鮮海」として区別されていた海域の呼称が、日本の主張する「日本海」に統合されたという経緯がある。
領海呼称を巡る現在の日韓の主張
現在、日本政府は「日本海」という名称を単独で使用し、国際社会においてもその呼称を堅持している。一方で韓国政府は、1948年に大韓民国が領土と領海を取り戻した歴史的経緯を背景に、国際社会に対して「東海」と「日本海」の併記を求めている。李会長は今回の資料公開にあたり、「日本が日本の領海を『日本海』と呼ぶなら、韓国は少なくとも韓国の領海を『東海』と呼び、公海については『東海』と『日本海』を併記するのが正当だ」との見解を示した。
歴史的史料が今後の議論に与える影響
今回発掘された1902年の官報は、日本の公的文書において「朝鮮海」という呼称が実際に使用されていた歴史的事実を再確認させた。今後、この資料が国際的な地名論争においてどのような影響を及ぼすのか、また日本側が歴史的な公的記録に対してどのような見解を示すのかが注視される。日韓両国による海域名称を巡る主張は、依然として平行線をたどっており、歴史的史料の検証を通じた議論は今後も続く見通しである。