東京・世田谷区の豪徳寺では、境内に並ぶ無数の招き猫が国内外の観光客を引き寄せている。江戸時代の彦根藩主ゆかりの由緒ある寺院でありながら、現在は参拝客の8割以上を外国人が占め、一日1000個以上の置物が売れる状況になっていると、yomiuri.co.jpが報じた。
井伊家の菩提寺に広がる無数の招き猫の光景
東京・世田谷区の住宅街に位置する豪徳寺は、江戸時代の彦根藩主・井伊家の菩提寺として知られ、幕末の大老・井伊直弼の墓もある歴史的な寺院である。境内の一角には大小様々な招き猫の置物が並び、その数は住職の粕川徹哉さんによると正確にはわからないものの「少なくとも1万個ぐらいはあるだろう」と推測されている。先月28日には雨天にもかかわらず寺務所に長い行列ができ、約2から約35センチの計10サイズが販売されている置物を買い求める参拝客でにぎわっていた。
外国人が押し寄せる背景とSNSの影響
境内にある縦横約10メートルずつの道に沿った奉納用の棚計8台は置く場所がないほど埋め尽くされ、塀や地面にも招き猫があふれている。全国の招き猫愛好者でつくる「日本招猫倶楽部」世話役の板東寛司さんによると、参拝客が急増した背景には、招き猫が並ぶ様子が写真映えするというSNSの投稿が相次ぎ人気に火が付いたことがある。SNSを見た外国人の間では「ラッキー・キャット・テンプル」と呼ばれており、現在では参拝客の8割以上を外国人が占め、多い日には一日に1000個以上が売れている状況だ。昨年夏には米国出身の人気歌手ビリー・アイリッシュさんも訪問し、自身のSNSに写真を掲載したことでさらに話題となった。
井伊直孝を救った白い猫の伝説と歴史的変遷
寺の言い伝えによると、江戸前期の1590年から1659年に生きた彦根藩2代藩主の井伊直孝の一行がタカ狩りの帰りに寺の前を通りかかった際、門前にいた白い猫に敷地内へ手招きされた。その直後に急な雷雨となり、一行は難を逃れたという。住職の粕川徹哉さんは「招き猫は福を呼ぶと信じられるようになり、寺には遅くとも昭和初期には置物を奉納する文化があった」と語る。ただ、寺の近所に住む上保洋子さんによると、高校生だった1960年頃には屋外に奉納する場所はなく、地面にまばらに置かれている程度だった。奉納棚が初めて設置されたのは1970年代に入ってからで、当時は数十個程度しか並んでおらず、2000年以降になって参拝客が本格的に増え始めたという。
寺による数の調整と「お焚きあげ」の実施
寺は招き猫が並んだ光景を名物として残してきたが、無数に増え続ける置物に対して現在は対策も講じられている。寺によると、17年頃には約4000個だった招き猫がさらに増加しており、現在は2から3か月に1回、縁起物を焼いて供養する「お焚きあげ」を行い、数を調整しているという。祈願が成就した際には再び寺へ奉納する習わしがあり、この日フランス国籍で34歳のオーレル・ブランさんは病気の父親の回復を祈願して置物を購入し、「父が元気になったら一緒に奉納しに来たい」と語っている。
招き猫を活用した豪徳寺商店街の町おこし
寺の盛り上がりを受けて、周辺の店でつくる「豪徳寺商店街振興組合」は地域活性化に取り組んできた。2009年には寺の言い伝えに登場する猫の名前が「たま」だったことにちなみ、PRキャラクター「たまにゃん」を作製し、「豪徳寺たまにゃん祭り」も開始した。翌2010年には小田急線豪徳寺駅前に高さ約1メートルの招き猫像も設置された。同組合の前理事長である上保昌布さんは、米店から猫グッズを扱う土産物店に商売を切り替えた人物であり、「街のシンボルに据えたことで、地域の一体感が増した」と振り返る。その後も複数の土産物店が開店し、街のにぎわいを支えている。
増加する外国人観光客と今後の地域共生
現在も多くの外国人観光客が押し寄せる豪徳寺周辺では、土産物店が街のにぎわいを形成し、観光地としての側面を強めている。かつては地元住民に親しまれる静かな寺院であったが、SNSでの拡散や海外からの著名人の訪問を経て、国際的な観光名所へと変貌を遂げた。元理事長の上保昌布さんは、今後について「お寺とともに地域を盛り上げていきたい」と話しており、寺の伝統と地域の町おこしが一体となった新たな環境づくりが続いている。