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2025-10-17 19:58:00
東京、10月17日(日本のニュース) – 日本の第81代首相を務め、1995年の阪神淡路大震災など大きな出来事を通じて日本を導いた村山富市元首相が7月14日朝、大分市の病院で死去した。 101歳でした。
ふさふさした眉毛がトレードマークで「トンちゃん」の愛称で親しまれる村山氏は、1924年大分市に生まれ、1972年に当時の日本社会党議員として衆議院議員に初当選した。 1994年、自由民主党、日本社会党、新党さきがけによる前例のない連立政権を経て首相に就任した。この政治再編は国民を驚かせた。
村山氏は当時、「社会党主導の内閣ですので、国内外で相当の不安があると思います」と語った。
村山氏は在職中、1995年の阪神・淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、戦後日本の最も重大な危機のいくつかに直面した。彼は、1995年に第二次世界大戦終結50周年を記念して画期的な「村山談話」を発表し、戦時中の日本の侵略に対して深い反省と心からの謝罪を表明したことで広く記憶されている。
村山氏は「我が国は、誤った国策により、植民地支配と侵略により、多くの国、特にアジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた」と宣言した。この声明は戦後日本外交の基礎となり、今でも彼の政権を決定づけた瞬間の一つとなっている。
村山氏は原爆被爆者援護法の制定にも中心的な役割を果たし、平和と社会福祉に尽力する政治家としての功績を強化した。親しみやすい性格で知られ、自身の肖像をあしらったグッズも作られ、サポーターや同僚からは親しみを込めて「トンちゃん」と呼ばれていた。
しかし1996年1月、村山は「新年の青空を見て」辞任を決意したと突然辞任を発表した。約4年後、彼は政界から完全に引退したが、晩年になっても国家安全保障法に対する抗議活動に参加するなど、声を上げ続けた。
100歳の誕生日を直前にした2024年にFNNのインタビューに応じたとき、村山さんは毎日の散歩を欠かさなかったと語った。自身の人生を振り返り、「自分が首相になるとは想像もしていなかった。振り返ってみると、私の人生は偶然の出会いによって形作られてきた」と語った。
彼の死のニュースを受けて、彼の故郷である大分の地方紙は号外を発行した。最期を看取った関係者は「午前10時ごろ容態が急変し、安らかに息を引き取った」と語った。
街頭では住民らが悲しみの声を上げた。ある人は「とても悲しい。優しいおじいちゃんのような気がした」と語った。
政界からも追悼の声が寄せられた。社民党の福島瑞穂党首は「トンちゃんに『頑張れ』と言われるたびに力をもらった。大きな喪失感を感じている」と語った。
立憲民主党の岡田克也代表は村山政権を「政治家として経験した中で最も驚くべき政権」と評し、「先輩首相として深く尊敬していた」と付け加えた。
石破茂首相も「突然の訃報に大変驚き、悲しんでいます」と追悼の意を表した。
ソース: FNN
#村山富市元首相が101歳で死去