損害保険ジャパンが所有するゴッホの「ひまわり」をめぐり、元所有者の遺族が2022年に米国で返還と約1000億円の賠償を求めて提訴した。ナチス政権下での強制的な売却が争点となったが、イリノイ州の裁判所はその後、証拠不十分として訴えを却下している。
58億円で落札された「ひまわり」の来歴
1987年、安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン)は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの「ひまわり」(F457)を約58億円で購入した。ジャーナリストの福田直子氏によると、この金額は当時の絵画史上最高額であり、近代・現代美術の評価額が青天井となる転換点となった。ゴッホがアルルで描いた一連の「ひまわり」は計7点存在するが、現存するのは6点である。日本にある作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所有する作品の複製にあたるとされ、花瓶にサインがないのが特徴だ。かつては兵庫県芦屋市の実業家が所有していた「六本のひまわり」も存在したが、1945年の米軍による爆撃で焼失している。
ナチスによる「アーリア化」と返還請求の背景
2022年暮れ、SOMPOホールディングスが所有する「ひまわり」に対し、元所有者であるドイツの銀行家パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディーの遺族が返還を求めて米国で提訴した。福田氏の報告によれば、原告側は「1934年にナチスによる迫害の中で強制的に売却させられた」と主張し、所有権の返還に加え、約1000億円の損害賠償を求めた。この賠償額には、同社が作品を所有し続けた30年以上にわたる利益が考慮されているという。メンデルスゾーン家は、ナチス政権下で資産を凍結され「アーリア化」の対象となった一族であり、これまでもピカソ作品などをめぐり各地の美術館と返還交渉を行ってきた。

法的拘束力を持たない「ワシントン原則」の限界
美術品の返還問題をめぐっては、1998年に採択された「ワシントン原則」が重要な指針となっている。これはナチスに略奪された美術品について、正当かつ公平な解決を求める国際的な枠組みだ。しかし、この原則には法的拘束力がないため、美術館関係者に対して倫理的な判断を促す「ソフト・ロー」にとどまっているのが現状である。福田氏は、旧安田火災海上保険が作品を購入した1980年代当時は、こうした「来歴(プロブナンス)」の問題が現在ほど重視されていなかったと指摘する。競売の印象を悪化させないために、来歴の不透明さが黙認される傾向が強かったという。
「ひまわり」訴訟の現状と今後の行方
イリノイ州シカゴの裁判所に提出された訴状に対し、裁判所は「証拠不十分」として訴えを却下する判決を下した。プレジデントオンラインおよびYahoo!ニュースの報道によると、この訴訟の原告側が今後どのような法的手段に出るのかは、現時点では不明となっている。かつては「バブル時代」の象徴として、また現在はSOMPO美術館の「顔」として親しまれてきた「アジアで唯一のひまわり」だが、名画の「足どり」を問う動きは国際的に強まっている。

- 1987年:安田火災海上保険が「ひまわり」を約58億円で落札
- 1998年:略奪美術品の返還を求める「ワシントン原則」が採択
- 2022年:元所有者の遺族が米国で返還と損害賠償を求め提訴
- その後:イリノイ州の裁判所が証拠不十分として訴えを却下
ナチスによる美術品略奪をめぐる議論は、冷戦終結後に旧ソ連などで文書が公開されたことを機に加速した。かつては個人のコレクターや美術館が所有権を主張することが難しかったケースでも、来歴の調査が進むにつれ、国際的な返還論争が活発化している。今回の「ひまわり」をめぐる裁判は、法的な決着をみたものの、略奪美術品をめぐる倫理的な問いは引き続き美術界にとって避けて通れない課題となっている。