2026年10月12日、米国各地でコロンブス・デーが迎えられる中、この祝日の意義を巡る議論が再燃している。かつてのイタリア系移民の誇りの象徴は、現在では先住民の権利や植民地主義の歴史的評価を問う複雑な論争の的となっており、多くの自治体が「先住民の日」との併用や名称変更を選択している。
1892年の祝日制定とリンチ事件の影
米国でクリストファー・コロンブスの功績を称える連邦祝日が初めて公式に制定されたのは、1892年のことである。ベンジャミン・ハリソン大統領は、コロンブスによる「アメリカ大陸発見」400周年を記念する宣言を出した。この動きは、当時全米で高まっていたイタリア系移民に対する排外主義と、1891年3月14日にルイジアナ州ニューオーリンズで発生した大規模なリンチ事件という暗い側面を背景にしている。この事件では、警察署長の殺害容疑をかけられた11人のイタリア系移民が暴徒によって殺害された。
ペンシルベニア大学の実践教授であり全米黒人地位向上協会(NAACP)の元会長であるベン・ジェラス氏は、この歴史を次のように指摘する。米国政府はイタリア政府に対し、事件の賠償として約2万5000ドルに相当する12万5000フランを支払った。その後、ハリソン大統領は祝日を宣言し、イタリアへ軍艦を派遣して友好関係を誇示した。ジェラス氏は、この祝日の制定が当時の悲劇の記憶を「消し去る」ための政治的意図を含んでいたと分析している。
その後、1934年にはフランクリン・D・ルーズベルト大統領が10月12日を年次祝日として指定。1968年にはリンドン・ジョンソン大統領の強い支持のもと、連邦祝日として正式に定着した。1971年からは「統一月曜日休日法」により、10月の第2月曜日に固定されることとなった。
航海者としての評価と神話の変遷
歴史家や航海士の間では、コロンブスの技能に対する評価はなお高い。サミュエル・エリオット・モリソンは著書『Admiral of the Ocean Sea』の中で、当時のヨーロッパがいかに「未来に対して暗い見通しを持っていたか」を描写している。コロンブスは、死の病であった黒死病がジェノヴァを襲ってから約100年後に生まれた。当時のヨーロッパは経済的に困窮し、オスマン帝国の台頭によってシルクロードが閉ざされる中、コロンブスは西回りでのインド航路開拓を模索した。
ダグラス・T・ペック氏は、コロンブスが自身の航海を神から命じられた任務であると信じていたと記している。また、王立航海研究所が2011年に発表した研究によれば、コロンブスの航海日誌の再構成を通じて、その航海がいかに困難なものであったかが示されている。コロンブスは幾度も難破を経験し、飢餓に瀕しながらも、行政官としての失敗で鎖に繋がれてスペインへ送還されるといった挫折を繰り返しながら、常に探求を続けた人物であった。
先住民の視点と現代の論争
しかし、現代の議論においてコロンブスは、征服と植民地化の象徴として強く批判されている。先住民の人々にとって、彼の到着は「コロンブス交換」と呼ばれる、植物、家畜、そして致命的な感染症の拡散をもたらした歴史的転換点である。多くの先住民が「タートル・アイランド」と呼ぶ北米大陸において、この祝日は彼らの歴史や文化を消し去るものとして映っている。


2020年にはバージニア州フェアファックス郡がコロンブス・デーを祝日から廃止した。また、2021年にはジョー・バイデン大統領が、コロンブス・デーと同日に「先住民の日」を記念する初の公式大統領宣言を発表。ヨーロッパによる植民地化の苦痛を認めつつ、ネイティブ・アメリカンのレジリエンスと主権を称える姿勢を示した。ワシントンD.C.の弁護士ジェイソン・シュロスバーグ氏は、イタリア系アメリカ人にとっての誇りと先住民にとっての悲劇の記憶が衝突しており、歴史的検証だけでは解決できない「神聖な意味」の対立であると指摘している。
バイキングの足跡と歴史の多層性
コロンブス以前の北米到達者についても議論が続いている。アイスランド大学のエミリー・レスブリッジ氏は、北欧のサガを引用し、バイキングが870年頃にアイスランド、その100年後にグリーンランドを発見し、カナダのバフィン島(ヘルランド)やラブラドール(マークランド)、ヴィンランドに到達していたことを説明している。レスブリッジ氏は、彼らは一箇所だけでなく、いくつかの場所に立ち寄っていた
と述べ、彼らが新しい世界を探検していた事実を強調した。

現在、全米の多くの自治体では、コロンブス・デーを「先住民の日」へと移行する動きが広がっている。しかし、この祝日がイタリア系アメリカ人のルーツを祝う意味を失うべきか、あるいは歴史を再考する機会とすべきかという問いは、アメリカ社会のアイデンティティを問う「長い物語」として、今後も続いていくことになるだろう。