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2024-05-21 12:30:00
提供:喜多康之
「『エコバッグを大量に売れる仕組みってないかな?』とか、『SDGsの文脈でプロモーションを考えてくれないか?』といった相談が増えました。
失礼ながら、なんてナンセンスなんだろうと思ってしまったんですよね。サステナビリティを意識した取り組みのはずなのに、より多くモノを売ろうとするなんて矛盾しているじゃないですか」
こう語るのは、MILKBOTTLE SHAKERS代表・喜多泰之(きたやすゆき)だ。レジ袋の有料化が始まる2020年7月直前、喜多の元にはエコバッグに関する相談が多く寄せられた。
これに対して喜多が提案するのがLoopach(ルーパック)という仕組みだ。一見なんの変哲もないエコバッグに、とある仕掛けをつけて全国に広めようとしている。
喜多の行動の背景にある思い、そしてLoopachに隠された仕組みに迫った。
「エコバッグをたくさん売りたい」の矛盾に気づいて

撮影:染谷かおり
買い物の際にレジ袋を断ると、LoopachのユーザーはエコバッグについたICチップをレジで読み取ることができる。すると、アプリ上で「Flower」と呼ばれるポイントを獲得。このFlowerはLoopach基金を通して寄付に変換される。
これが、Loopachの主な仕組みだ。
2年ほど前からは、同様の仕組みでタンブラーに貼るステッカーも開発した。ステッカーにもICチップが内蔵されており、ドリンク購入時にプラカップを断れば、Flowerを獲得できる。
さらには、アプリ内ではキャラクターの育成もできる。バッグやタンブラーを使えば使うほどキャラクターが育ち、愛着を高められる仕組みだ。

撮影:染谷かおり
Loopachがローンチしたのは2020年。構想自体は、前職のURBAN RESEARCHを辞めて、2018年頃あたりから喜多の頭の中にあった。
しかし、サステナビリティを重視して始める活動として、営利と非営利の掛け合わせを重視していた喜多はプロジェクトの進行に慎重になっていた。
そんな喜多の良きパートナーとなったのが線維商社大手・ヤギと、システムやソフトウェアを開発する大和コンピューターの存在だ。年末のある日、喜多はLoopachの構想をヤギの社員の1人に話した。すると年明けに、次のような電話がかかってきた。
「喜多さんの話、初夢に出てきました。 自分は今まで商社マンとして、環境問題に関する事業にあまり関われていなかったけれど、線維商社の一員としてすごく心が動かされました」
電話を受けて、喜多は家に篭って1週間でヤギ向けの企画書を練り上げ、プロジェクトの実行に漕ぎ着けたのだった。
「将来の夢は服屋さん」

撮影:染谷かおり
仕事の源流を辿ると、喜多の幼少期に辿り着く。
ファッション業界で働く両親のもとに生まれた喜多。大阪の実家は、バイヤーとして世界中を飛び回る父親が買い集めてきた洋服で溢れ、海外版のファッション雑誌が定期購読で届くような環境だった。2歳年下の弟と共に、幼少期からシャツの畳み方や、革靴やサッカーのスパイクまで靴の磨き方を叩き込まれた。
そんな環境で育った喜多は当然ファッションに夢中。幼稚園生の頃には「将来の夢は洋服屋さん」と語ることもあったという。
しかし、中学3年生になると両親は離婚。さまざまな事情があったが、その一つは経営者でもあった父親がぶつかったビジネス的な問題にあったという。
ファストファッションの流行が加速する中でも、本質的なものを求めていた父が壁にぶつかる姿を目にして、喜多も心のうちでは悔しさを感じていた。
結局、私服で通いたいという動機で選んだ公立の進学校に入学。父親のこともあり、親族の反対もあった一方で、喜多はますますファッションにのめり込んだ。入学後すぐに髪を染め、ピアスも開けて、自転車で心斎橋や中崎町のセレクトショップや古着屋を駆け巡った。
父の背中から学んだ「ブランディング」

撮影:染谷かおり
そのままファッションに囲まれて高校3年間を過ごした。受験勉強には身が入らず、大学受験に失敗。その後浪人生として国立大学を目指すも、予備校に行くふりをして、服屋に駆け込む有り様だった。
「参考書を買いに本屋に行っても、買ってくるのは洋服の本。ファッションの勉強ばかりしてる自分に気づいて、やっぱり自分が興味があるのはそっちなんだと思いました」
とはいえ、進学先として選んだのはファッション系の大学ではなかった。
「ファッションの仕事をしたいけれど、ミシンを踏みたいわけでも、パターンを引きたいわけでもなかったんです。
僕は、服の消費のされ方とかブランドのアイデンティティを作ることに興味がありました。今は“ブランディング”という言葉があるけれど、当時はまだそういった仕事のポストは少なかった。
でも、幼いながらに父の仕事を見ながら感じていたのは、飽和するファッション業界では、これからもっとストーリーや背景が大事になるだろうということでした」
ファッションの専門学校に進まずとも、ファッションの仕事はできる。そう確信していた喜多は4年制の大学への進学を希望。結果的に商学科が強い近畿大学に進学した。
勉強にはあまり身が入らなかった喜多は、のちに社員となるURBAN RESEARCHのアルバイトに明け暮れた。しかし、そんな中で唯一熱中した授業が、ブランド論のゼミ。倍率の高いゼミ選抜に見事合格し、熱心に授業を聞いた。
ジーンズブランドのリーバイスをテーマに執筆した卒業論文には特に力を入れた。まだブランディングの概念が確立されていなかった1800年代から現代まで、リーバイスの歩みをブランディングの体系的な概念と照らし合わせながら検証する内容だった。
URBAN RESEARCHで積み重ねた経験

アルバイト時代の喜多(写真中央)。
提供:喜多康之
そんな喜多が仕事としてファッション業界に関わるきっかけができたのは、先述のようにURBAN RESEARCHのアルバイトを始めた大学生時代のことだ。いや、厳密に言うと大学入学前の春休み。
アルバイト先を探して梅田を歩く喜多の目に入ったのが、ファッションブランドURBAN RESEARCHのレーベル「URBAN RESEARCH DOORS」の店舗に併設された“カフェ”だった。
本当は服屋で働きたかったが、大学生を雇う大手セレクトショップなどほとんどない時代。少しでもチャンスに近づこうと、まずはカフェで働くことにした。服好きな喜多は、次第にURBAN RESEARCH DOORSの店員とも交流するようになる。そして1年弱が経った頃、念願叶ってアパレル店員のアルバイトをスタートした。
気づけば、学生ながらも発注業務まで関わるようになっていた。4年間のアルバイトを経て、喜多はURBAN RESEARCHに新卒入社。実は競合の大手セレクトショップにも内定をもらっていたという喜多だが、入社の決め手を次のように語る。
「当時のURBAN RESEARCHはまだまだ成長途上だったんです。今では数十店舗あるURBAN RESEARCH DOORSの店舗も、まだ数店舗しかなかった時期です。
けれど、そんな中でもURBAN RESEARCHはいち早くライフスタイル系のセレクトショップとして洋服だけではなく家具を扱ったり、お客さんとのワークショップなども開催したりしていた。
できることの幅広さを見て、ここだったらブランディングの仕事ができるんじゃないかと感じました」

提供:喜多康之
入社後は大型のショッピングモールに出店する新店舗に配属された。メンズアイテムの売り場責任者として販売の仕事をしながら、ブランドのウェブサイト制作も経験した。
2年目からは路面店に異動し、店長を経験。接客の中で、各ブランドの歴史やカルチャーをお客さんと話すのがとにかく楽しかった。
「セレクトショップの販売員は、各ブランドのストーリーテラーだと思うんです。
例えばパタゴニアのアイテムを売る時は、創始者のイヴォン・シュイナードらが立ち上げた寄付の仕組み『1% for the Planet』の話をしました。
『このブランドとこのブランドは、似たルーツを持っているので組み合わせたら粋じゃないですか?』なんて話をすることもありました。
そういった会話のなかで、ブランドや自分たちのお店のファンが増えたら嬉しいじゃないですか」
組織としても拡大途中だったURBAN RESEARCHでは、販売の仕事を経てPR、バイヤー、イベント企画、家具企画などどんどん業務の範囲を広げていった。
「ビニール袋の成れの果て」を目にしてハッとした

ビーチクリーンで遭遇した「ビニール袋の成れの果て」。
提供:喜多康之
幅広い業務を経験してきた喜多だったが、その中でも現在につながる印象的な仕事があった。海岸環境の保護活動を行う国際環境NGO「Surfrider Foundation Japan」とURBAN RESEARCHが共に実施したビーチクリーンの活動だ。
ゴミ拾いをする中で、こんな会話が繰り広げられた。
「喜多くん、それ何か分かる?」
「海藻ですか?」
「ビニール袋の成れの果てだよ」
ファッション業界への憧れを胸に仕事をしてきたのに、ふと気がつくと湘南のビーチでゴミ拾いをしている。不思議な縁を感じ、何か自分にもできることがあるのではないか、やるべきことがあるのではないか、という思いが頭の隅に浮かぶようになった。

喜多が立ち上げに関わったGreen Down Project。
提供:喜多康之
次第に喜多の元には社会課題に関わるプロジェクトや業務が数多く舞い込んでくるようになる。URBAN RESEARCH社内で廃棄衣料のアップサイクルに取り組んだり、障がい者の法定雇用率向上のための活動に取り組んだりもした。
また、羽毛のリサイクルに取り組む一般社団法人Green Down Projectの立ち上げにも携わった。
こんな活動を続けるうちに、ふと起業を思い立つ。より大きな視野を持って、自分の力で挑戦してみたい。そんな思いがあった。
そうして立ち上がったのが、MILK BOTTLE SHAKERSだ。現在まで、ブランディングを軸にさまざまな企業のアイデア創出やクリエイティブ制作を支援している。その傍ら、自社事業として始まったのが、Loopachだった。
URBAN RESEARCHやゴールドウインで導入

Loopach最初の試作品。ワッペンで穴を塞ぎ、現在まで愛用する。
撮影:染谷かおり
冒頭のように、協業先である線維商社大手・ヤギと、システム・ソフトウェア開発の大和コンピューターと運命的な出会いを果たし、構想がひとまず形になった。
だが、Loopach加盟店の開拓は一朝一夕にはうまくいかなかった。Loopachを広めるためには、LoopachのICチップを読み取るリーダーを店舗に導入してもらわなければならない。
ローンチ時には有名なメディアでも取り上げられ、大手企業からの問い合わせが殺到した。しかし、実際に導入に至った企業は多くはなかった。Loopachの思想や必要性には共感を示しながらも、「他社の導入事例を見てから考えたい」という企業がほとんどだった。
「日本でソーシャルベンチャーがスケールしにくい理由を実感しました。きっと社内で稟議を通すのも大変だし、リスクを考えて慎重になることもよく理解できます。
でも、慎重になりすぎるのはイノベーションを止めてしまう原因になるのではないかと感じます」

さまざまなお店で導入され始めているLoopach。
提供:喜多康之
そんな中でも、徐々に導入企業は増え続けており、現在は40社120店舗以上で導入されている。喜多の前職URBAN RESEARCHの店舗をはじめとし、ザ・ノース・フェイスなどを運営するゴールドウインなどの店舗にLoopachのリーダーが設置されている。
ユーザーからの反応も上々だ。Loopachの考えに共感したユーザーたちが自ら周囲の人や店舗にLoopachを勧める動きが出てきているという。
「自分の地域でLoopachを広めていいですか?」「こういうお店でも使いたいから頑張ってください」といった連絡が日々寄せられる。共感をもとに、ヘルシーな形で活動が広がっているのだ。
「エシカル」であることは全企業が負うべき「責任」

撮影:染谷かおり
ブランディングという軸からスタートし、いつの間にか社会課題に向き合うことになっていた喜多。しかし、自社について「サステナビリティ」や「エシカル」といった言葉だけでカテゴライズされることを嫌う。
「ブランドの仕事に携わる中で強く感じるようになったのですが、社会に対してできることをやるのはブランドをやる上で普通のこと、必須のことなんです。
もし、自分の子どもが道やビーチでゴミを捨てたら怒るでしょう? 元気なのに、電車で目の前にいるお年寄りや体の不自由な方に席を譲らなかったら諭すでしょう? そういうことと同じだと思ったんです」
環境問題や社会課題に向き合う人に「意識高い」といった言葉が投げかけられる現代。喜多のようなスタンスで仕事に向き合う人が増えれば、問題の解決は加速するのかもしれない。
最後に、喜多がLoopachを通して描く未来を教えてもらった。
「買い物に訪れた親子が、Loopachを使って『今日の買い物で貯まったFlower誰にあげようか? ご飯に困っているお友達か、海を綺麗にしているおじさんたちか……』なんて会話をしてくれるようになったらいいな。
何かを買うときに、安さやトレンドだけでものを消費するのではなく、そういったストーリーや情緒も大事にしてほしいんです。
そんな風にLoopachが、エコバッグやタンブラー、ひいてはファッションアイテムなどの価値転換とユーザーの行動変容につながったら嬉しいです」
#エコバッグを大量に売れないかにうんざりアーバンリサーチを経て仕掛け付きのエコバックで起業 #Business #Insider #Japan


