日本語版
最新ニュース
日本

鳥取連続不審死・上田美由紀の凄絶な取り調べと留置所での自傷行為:『殺め人』抜粋

鳥取連続不審死事件で死刑が確定した上田美由紀が、逮捕後の留置所での過酷な取り調べの中で、持病用の注射器の針を密かに持ち帰り、自らの左腕に5人の子供たちの名前を刻み込んでいたことが分かった。ノンフィクションライターの高木瑞穂氏が著書『殺め人』で明らかにしている。極限状態に追い詰められた被疑者の異常な実態が浮き彫りとなっている。 スナックのホステスから始まった連続不審死事件の構図 上田美由紀は2009年11月に詐欺容疑で逮捕された。逮捕前は鳥取市内で「サトミ」という源氏名でホステスとして働いていた。豊満な体型で知られる彼女は、孤独な男性に接近して「一緒に暮らそう」と甘い言葉をささやき、次々と男女の関係を結んだ。男たちは彼女の巧みな寝技に魅了され、次々と多額の金銭を差し出したという。詐欺容疑の逮捕は、こうした手口で男たちから金を巻き上げたことが発端だった。巨額の保険金詐欺で知られる林真須美の豪邸とは対照的に、当時の上田の自宅は鳥取市内にある家賃2万5千円の1DK、黄と緑が混じったうらぶれたプレハブ長屋であり、ゴミ屋敷のように荒れ果てていた。その後、知人の男性2人に借金免除を狙って睡眠導入剤を飲ませて水死させたとして、強盗殺人容疑で再逮捕されることになった。 連日の警察・検察による取り調べと7か月の長期拘禁 逮捕された上田は、留置所で長期間にわたる凄絶な取り調べを受けた。〈私は逮捕されてから7か月という長期にわたり留置所に入れられ、また、取り調べを受けました〉と、著書の中で当時の過酷さを振り返っている。取り調べは連日のように警察と検察の両方で行われ、土日も休むことはなかった。正月元日か2日程度しか休めず、検察の取り調べから戻ってもわずかな休息ののちに警察の取り調べが始まるという過密スケジュールだった。あまりの苦しさに「もう好きにして」と叫び出しそうになり、警察や検察の甘い言葉や子供を引き合いに出されるたびに心が折れそうになったと明かしている。取り調べの最中は、警察や検察側が味方で弁護人が敵であるかのように錯覚させられることもあったという。 極限状態のなかで弁護団の存在が支えた精神状態 過酷な取り調べが続く中、一審の弁護団の存在が上田の精神を辛うじて支えていた。どんなに大雪の日であっても、休日や正月を問わず、弁護人らは一日に何度も面会に訪れた。取り調べの途中で何度も弁護人を呼び出してSOSを出したという。黙秘も強い苦痛を伴い、怒声や甘い言葉が飛び交う取り調べによって精神が崩壊しかけていた。留置所での食事は朝昼夜と似たようなお弁当が続き、接見禁止処分を受けていたため許可される私物はほとんどなかった。朝から夜までの取り調べで心身ともに疲弊しきった彼女は、何度も自死を考えたが、ボールペンすら芯が1ミリしか出ないものを借りるのがやっとという完全に管理された環境だった。 注射針を隠し持って左腕に刻んだ子供たちの名前 すべての自由を奪われた過酷な環境のなかで、上田は持病の治療に必要な注射器の針を密かに持ち帰ることに成功した。その針を使って、自分の腕に5人の子供たちの名前やメッセージを彫り込んだと明かしている。取り調べ後にこっそり持ち帰った注射器の針で刻んだ傷跡について、面会時に左腕を見せてもらった高木瑞穂氏は、いまも微かにその痕跡が残っていると記している。当時、上田はこの傷を残したうえで自死することを本気で思い詰めていたという。その名前やメッセージを彫り終えたころ、留置所の刑務官にようやく針が発見されて取り上げられた。極限の心理状態に置かれた死刑囚が残した爪痕は、今なお消えない生々しい事実として物語られている。

鳥取連続不審死・上田美由紀の凄絶な取り調べと留置所での自傷行為:『殺め人』抜粋

鳥取連続不審死事件で死刑が確定した上田美由紀が、逮捕後の留置所での過酷な取り調べの中で、持病用の注射器の針を密かに持ち帰り、自らの左腕に5人の子供たちの名前を刻み込んでいたことが分かった。ノンフィクションライターの高木瑞穂氏が著書『殺め人』で明らかにしている。極限状態に追い詰められた被疑者の異常な実態が浮き彫りとなっている。

スナックのホステスから始まった連続不審死事件の構図

上田美由紀は2009年11月に詐欺容疑で逮捕された。逮捕前は鳥取市内で「サトミ」という源氏名でホステスとして働いていた。豊満な体型で知られる彼女は、孤独な男性に接近して「一緒に暮らそう」と甘い言葉をささやき、次々と男女の関係を結んだ。男たちは彼女の巧みな寝技に魅了され、次々と多額の金銭を差し出したという。詐欺容疑の逮捕は、こうした手口で男たちから金を巻き上げたことが発端だった。巨額の保険金詐欺で知られる林真須美の豪邸とは対照的に、当時の上田の自宅は鳥取市内にある家賃2万5千円の1DK、黄と緑が混じったうらぶれたプレハブ長屋であり、ゴミ屋敷のように荒れ果てていた。その後、知人の男性2人に借金免除を狙って睡眠導入剤を飲ませて水死させたとして、強盗殺人容疑で再逮捕されることになった。

連日の警察・検察による取り調べと7か月の長期拘禁

逮捕された上田は、留置所で長期間にわたる凄絶な取り調べを受けた。〈私は逮捕されてから7か月という長期にわたり留置所に入れられ、また、取り調べを受けました〉と、著書の中で当時の過酷さを振り返っている。取り調べは連日のように警察と検察の両方で行われ、土日も休むことはなかった。正月元日か2日程度しか休めず、検察の取り調べから戻ってもわずかな休息ののちに警察の取り調べが始まるという過密スケジュールだった。あまりの苦しさに「もう好きにして」と叫び出しそうになり、警察や検察の甘い言葉や子供を引き合いに出されるたびに心が折れそうになったと明かしている。取り調べの最中は、警察や検察側が味方で弁護人が敵であるかのように錯覚させられることもあったという。

極限状態のなかで弁護団の存在が支えた精神状態

過酷な取り調べが続く中、一審の弁護団の存在が上田の精神を辛うじて支えていた。どんなに大雪の日であっても、休日や正月を問わず、弁護人らは一日に何度も面会に訪れた。取り調べの途中で何度も弁護人を呼び出してSOSを出したという。黙秘も強い苦痛を伴い、怒声や甘い言葉が飛び交う取り調べによって精神が崩壊しかけていた。留置所での食事は朝昼夜と似たようなお弁当が続き、接見禁止処分を受けていたため許可される私物はほとんどなかった。朝から夜までの取り調べで心身ともに疲弊しきった彼女は、何度も自死を考えたが、ボールペンすら芯が1ミリしか出ないものを借りるのがやっとという完全に管理された環境だった。

注射針を隠し持って左腕に刻んだ子供たちの名前

すべての自由を奪われた過酷な環境のなかで、上田は持病の治療に必要な注射器の針を密かに持ち帰ることに成功した。その針を使って、自分の腕に5人の子供たちの名前やメッセージを彫り込んだと明かしている。取り調べ後にこっそり持ち帰った注射器の針で刻んだ傷跡について、面会時に左腕を見せてもらった高木瑞穂氏は、いまも微かにその痕跡が残っていると記している。当時、上田はこの傷を残したうえで自死することを本気で思い詰めていたという。その名前やメッセージを彫り終えたころ、留置所の刑務官にようやく針が発見されて取り上げられた。極限の心理状態に置かれた死刑囚が残した爪痕は、今なお消えない生々しい事実として物語られている。

執筆者について: nipponese

Nipponese News編集部は、国内外のニュースを日本語で分かりやすくお届けします。